畦塗りの先に見る東京外かく環状道路の発展 〜水原秋桜子句碑
草加市と川口市の市境にあたるところ、外環(東京外かく環状道路)の下に水原秋桜子の句碑がありました。
草加市内には2つの秋桜子句碑があります。上記の記事での書は「平勢雨邨」氏の字になりましたが、こちらは誰のかはっきりしません。
畔塗りが 草加の町を かこみける
と書かれています。
「昭和の初期、春日部までの通勤時に、車窓から草加の風趣を謳ったもの。」という説明を下記の記事で見つけました。
この俳句からは草加も昭和初期の頃までは田んぼが多かったことが想像されます。
今では「外環が 草加の町を かこみける」と無季語で無機質な句になりそうです。
ふざけて書いてみました。笑
秋桜子が車窓から見た景色はだいぶ様変わりしたと思いますが、畦塗りで固めた部分が時代とともに物流網を支える道路へとなり日本の発展を支えたと考えると感動します。
碑陰には
「草加と松」
草加の人々が三百年にわたり守りつづけてきた松並木、草加にとってかけがえのない財産であり草加を愛する気持そのものです。
この松は「ようこそ草加へ」と人々をあたたかく迎え入れる草加のシンボルとして植林いたしました。昭和六十三年三月二十七日
とあります。素朴な書き振りがいいですね。
石碑の隣には立派な松がありました。ここで触れられている通り、石碑と共に歴史を歩んでいたのですね。
調べてみると外環が開通したのは1992年(平成4年)とのこと。
立碑の計画が出来た頃には外環の計画も出ていたと思いますが、果たしてここまで立派な交通網が完成すると想像できていたのでしょうか。
時代が移り変わるのを当事者目線でみると寂しい気持ちがしてしまいますが、こうして石碑に触れてみると同じ場所でも積み重なった歴史を再確認できるものですね。