明治の織物職人の字 〜安行吉川氷川神社
首都高速川口線を横目に見える場所にこちらの氷川神社があります。
『新編武蔵風土記稿』巻135の吉岡組の項に
氷川社 村の鎮守なり明和の頃の草創なりと云
と伝わるそうです。明和とあるので、概ね1700年頃には存在した神社となります。
小さいですが、歴史がありますね。
江戸時代の後期には同じく村の鎮守であった神明社も合祀したとの資料もありました。
さて、手水舎に立派な文字が刻まれていました。
隷書で「奉献」と刻まれています。
側面には「明治十五年壬午秋十月 榛嶺橋卿書」と刻まれています。
奉納者はこちらの氏子方、石工は田口金作とありました。
さて、この板橋榛嶺(本名:菊蔵)氏は明治の頃に活躍した人物であったそうですが、なかなか人物像がはっきりとしていませんでした。
しかし、どうやら川口市新郷の榛松の出身で、織物を得意として名を上げた人物でありそうだ。とわかってきました。
第5回の内国勧業博覧会でも三等賞を受賞するほどの実力者。
得意としたのは染め物であったようです。
織物のみならず、書も巧みとはさすがです。まさしくマルチタレントですね。
以上が、氏の石碑(と思われるものも含む)を記載した記事です。
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アクセス
参考文献:『大日本織物協會會報 (168)』