石碑巡遊〜手書きの魅力

名文・名筆を求め、各地の史跡・社寺などを巡り紹介していきます。現在、NOTEへ移行中完全移行後、こちらは閉鎖します。

書家と石工の蜜月な関係? 〜高砂八幡神社

 こんにちは。今回は草加駅の近くにある高砂八幡神社に参拝して来ました。

 

www.city.soka.saitama.jp

 

 こちらには草加市市指定有形文化財(工芸品)に指定されている獅子頭があります。

 草加市のHPによると制作年代は江戸末期に当たるのでしょうか。普段は拝殿内に安置されていますので、ご興味ある方は覗いてみるのもおもしろいのではないでしょうか。

 

 

 さて、高砂八幡神社には手水舎を新しく建て替えた際の記念碑が立っています。記銘によると立碑年代は「明治28年(1895)」となります。石工は青木宗次とわかります。

 

 筆者名が不明な碑ですが、草加市内の碑をある程度回ってきて筆者と石工の関係性があることがわかってきましたので、それを元に筆者名の推断していきましょう。

 

 書家と職人との交流の一例を碑に最も多くの名前を残している日下部鳴鶴について記してみるならば「鳴鶴先生に、『うちが彫らないと字は書かない』と言われた」

 (碑刻ー明治・大正・昭和の記念碑 森章二 著 木耳社 p6)

 大前提として日下部鳴鶴という明治を代表する大書家の言にあるように、書家と石工とは蜜月の関係にあったようです。

 明治28年頃に存命している可能性があり、草加市に石碑を残している人物は「板橋榛嶺」「柳坡」の2人がいます。この2人はともに隷書を良くしていますので、十分可能性は高いと思われます。

 そこで、2人の碑の石工を担当した人物を見てみると「板橋榛嶺」の多く(6基中6基)は「田口金作」が担当しています。一方の「柳坡」は「青木宗次」が石工を担当しています(1基中1基)。

 

 次に、各筆者の書を比較してみましょう。

 

 ※板橋榛嶺 書 田口金作 鐫

 

sekihijunyu.hatenablog.com 上記の詳細はこちらです。

 

 ※柳坡 書 青木宗次 鐫

 

sekihijunyu.hatenablog.com 上記の詳細はこちらです。

 

 共に明治28年に近いものを挙げてみました。「板橋榛嶺」の書は穏やかな丸みのある筆致なのに対し、「柳坡」は鋭く厳しい筆致であることを感じて頂けるでしょうか。ここで高砂八幡神社の「洗心場新築紀念碑」をみるとどうでしょうか。

 

 

 雰囲気が近いのは「柳坡」の書ではないでしょうか。隷書の波磔部分(主に横画の波打っているような書き方の部分)は筆者の古典の取り入れ方によって特徴が出易い部分ですので、そこだけ比較してみてもわかり易いと思います。

 

 さて、以上より「洗心場新築紀念碑」の作者は一先ず、「柳坡」という結論で締めさせて頂きます。

 

 次に、肝心の手水舎を覗いてみると草書で立派に書かれた「奉献」の文字が目に入りました。

 

 

 こちらの筆者は「龍澤」という人物。石工は「青木宗義」です。文政6年(1823)の銘があります。先ほどの碑は「新築紀念」となっていたので、元々はこの水盤だけだったのでしょう。

 書家と石工は蜜月の関係であったと先に話しましたが、こちらの「龍澤」と「青木宗義」も同様で、草加市川口市において数基、水盤を遺しています。

 

 「青木宗義」と「宗次」は祖父と孫の関係と思われます。この青木家は「青木石材店」として代々草加市で石材店を営んでいるようです。

 

www.sokacity.or.jp

 

 ちなみに、「田口金作」の田口家は「田口石材店」と思われ、現在も足立区にお店があります。

 

 今回は石工にも視点を当てて見てみました。素晴らしい職人業を堪能できるのも石碑を鑑賞する楽しみでもあります。

 

アクセス

東武スカイツリーライン 草加駅より 徒歩6分