石碑巡遊〜手書きの魅力

名文・名筆を求め、各地の史跡・社寺などを巡り紹介していきます。現在、NOTEへ移行中完全移行後、こちらは閉鎖します。

寺小屋で書写を学んだ人物の書く記念碑と寺小屋を開いた人物の掲揚塔がある神社 〜東本郷氷川神社

 

こんにちは。今回は埼玉県道34号のさいたま草加線沿いにある東本郷氷川神社に参拝してきました。

 

 

参道の鳥居から見るとこんな感じです。なかなか広い境内です。

この手前の鳥居の横に大きな碑があります。

 

 

村社合祀記念碑

 

 

碑陽の上部に碑額としてでしょうか。

 

氷川社 神明社 熊野社 稲荷社

 

と刻まれています。

 

碑陽の書者は堀内文次郎。軍人ではありますが、禅や書道にも通じていた人物。風雅な趣味を持っていたようです。

 

氏は『書之友』(1929年9月号)という雑誌に「書道と武士道」の題で寄稿しています。

 

それによると幼い時は寺小屋で習字を習ったといい、商人でさえ筆一本で成功していると言っています。子供の字を見ればその人柄がわかるともいい、空海の字に偉大な精神をみることができると述べています。

 

字を書くことに全霊を傾けて書くことがその人の精神性を形作ると主張している通り、堂々とした筆致が光ります。

 

 

碑陰には

 

明治三十九年敬神祟祖ノ御旨趣ヲ以テ□勅令第二百二十号ヲ公布セラレ超エテ明治四十年五月当社ニ、其ノ示達ヲ蒙ル然レトモ村社ノ独立ハ氏子及財産ニ制限アリ当時我氷川社ハ二者何レモ之ヲ具備セス是ヲ以テ時ノ氏子総代平林勇助氏ハ率先字内ハ勿論大字大竹神社大字蓮沼熊野社字曲輪稲荷社ノ各氏子総代ト数次ノ協議ヲ累ネ幾多ノ繁根錯節ヲ挑シテ前記ノ三社ヲ我氷川社ヘ合併シ村社トシテ之ヲ奉祀シ永ヘニ如在ノ赤誠ヲ致シテ等シク岡極ノ神徳ニ被霑スルコトヲ得ルニ至リタルハ蓋シ氏子ノ誠意ト総代諸氏ノ熱誠ト相待テ茲ニ至ルタルモノト謂ハサルヘカラス依テ其ノ事由ヲ録シテ之ヲ不朽ニ伝フ

合併ノ土地及金額
 大字大竹 山林六畝拾九歩 金八拾円
 大字蓮沼 山林四畝八歩 金拾七円 
 字曲輪 山林五反四歩 宅池畑七畝拾貳歩

 

と刻まれています。こちらは別の筆者でありそうです。

 

要約してみると

 

  • 明治39年勅令第220号が公布(神社仏閣を合祀するようにという公布)され、45年にはその指示に従うことになった。
  • しかし、独立して村社で神社を維持していくには氏子・財産ともに不足していた。
  • そこで、時の氏子総代、平林勇助氏が率先して大竹神社(御祭神は神明社に通じる)・蓮沼の熊野社・字曲輪稲荷社をこの氷川社に合祀。

 

であるようです。記録を碑として残すために立碑されたことがわかります。

 



境内にはこちらはなぜか「成田山」が存在します。

 

なぜ成田山があるのかはおいといて、松霞氏が書いた額があります。丁寧な書写体で書かれています。

 

松霞氏の詳細は現在不明です。

 

 

資料館もあります。ちょっと字が間延びしていますが、息の長い字。落款には「峰□拝書」と書かれているのが読めます。

 

何が収められているのか気になりますが、詳細は不明。

 

 

そして、国旗掲揚塔には中山桑林の書が光ります。塔は天保11年の作。とすれば氏の20歳の時の字ということになります。20歳でここまで書けるとは驚きです。

 

sekihijunyu.hatenablog.com

 

上記の記事でも同じ国旗掲揚塔(60歳頃に揮毫)があり、中山桑林の年代による違いが見て取れます。よろしければご覧ください。

 

 

アクセス

 

参考文献

『新編武蔵風土記稿埼玉編 上之巻1』

『法令全書 明治39年』