草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩③ 子規と虚子の句碑
前回、矢立橋まできました。今回は矢立橋より東京よりに歩みを進めていきます。
草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩① - 石碑巡遊〜名文・名筆を探して
草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩② ドナルド・キーン氏の筆跡を辿る - 石碑巡遊〜名文・名筆を探して
前回までは以上をご覧ください。
では、早速、、、。
矢立橋を少し南に行くと「日本の道百選 日光街道」の碑があります。当時の埼玉県知事畑和の手による碑らしいです。碑陰には当時の草加市長の言葉が刻まれています。
この碑の形、何かに見えてきませんか?
碑陰には当時の草加市長今井宏の言葉が刻まれています。「この道は江戸時代の五街道の一つで奥州日光街道とも呼ばれ江戸と日光奥州を結ぶ重要な街道であった。街道の名所として親しまれてきた松並木は草加の千本松原と言われ現在はふるさと埼玉を代表する歴史的文化的象徴となっている。綾瀬川と一体となった水と緑の美しい景観をもつ道として此の度「日本の道百選」に選定された。」と書かれています。今井市長は非常に字の優れた方なので、おそらく本人の手書きと思われます。というか、信じたい、、、。
脇にある説明石によると碑の形は埼玉県の形になっていて、碑の表、右下にある金属のプレートは草加市の位置を表しているそうです。…うん。説明読むまでわからなかった。
いよいよ今回の目的地札場河岸公園に辿り着きます。
お出迎えはこちら、「綾瀬川と松原」の碑です。ここに書いてあるのだと、この場所は利根川百景にも指定されているようです。
書は近藤徹。詳細はわかりませんが、少しデフォルトを加えた楷書ですね。
こちらも同じく近藤徹の書。この大きさになると巧さが際立ちます。「場」のまとめ方が個人的には好きです。
この札場河岸公園には句碑が二つあります。
1つめはこちらで高浜虚子の句「順礼や草加あたりを帰る雁」があります。
こちらは植村和堂の書。鋭い筆致が美しい。
仮名書家として作品を遺しておりますが、個人的には写経のイメージが強い方です。この本には色々お世話になりました。
もうひとつ「梅を見て 野を見て行きぬ 草加まで」があります。こちらは正岡子規の句。書は梶田越舟さん。全日本書芸文化院評議員の方だそうです。上の碑とは対照的な柔らかい作品です。この二つの碑は「発句を拾ふの記」で披露されたものだそうです。
そして、前回の投稿であった木造2体は銅像となって道を挟み立っています。上が松尾芭蕉、下が河合曾良です。曾良が「待ってくだせぇ」と呼びかけているような構図が面白いですね。
漸草庵の木造はこちらをご覧ください。
番外編
河合曾良の銅像が立つ「おせん公園」には「草加せんべい発祥の地」があります。
今井宏元市長の書です。『草加の金石』という本の題字を書かれてもいます。書に造詣が深い方が市長を務めていて、このように残っているのは素晴らしいことだなと思います。
歴史を感じる文学碑散歩と副題をつけましたが、この松並木、実は昭和末期頃には廃れていたそうです。それを整備し、今井市長の時に日本の道百選に選ばれたとのことで、それ以降に道に馴染むように様々な文学碑が建てられたと想像できます。立碑年代が浅くともそこに込められた歴史の深さを感じずにはいられませんでした。
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