石碑巡遊〜手書きの魅力

名文・名筆を求め、各地の史跡・社寺などを巡り紹介していきます。現在、NOTEへ移行中完全移行後、こちらは閉鎖します。

なぜ?日光御成街道を挟んで立つ2つの神社。その関係性は? 〜新井宿子日神社

こんにちは。今回は川口市新井宿にある子日神社に参拝して来ました。

 

 

新編武蔵風土記新井宿村の項に

 

新井宿村は江戸より行程五里(約19,6メートル)土人は今西新井宿に対して当村を東新井宿共呼へり正保の改には伊奈半十郎荒川又六郎知行(土地)新井宿村と載せて西新井宿の名を記さず元禄再改の頃より二村を出せり又当村半十郎か知行たりし□は伝ふれと荒川か□を伝へず是を以て按ずるに西新井宿は則此村より分村して又六郎が知行はかの西新井宿なること知るべし
 此村今は戸田領に属せり民戸二十五東は赤山に接し南は浦寺村西は西新井宿根岸の二村に限り北は石神村なり東西三町許南北十一町に余れり村の西の方日光御成道係れり天水を以て水田を耕せば水乏しく旱損あり領主の遷替及び検地等前村に同じ又西新井宿村に当村の飛地ありと云。

 

と記載があります。一部読みづらい箇所があるのですが、ざっくりと訳すと、

 

新井宿は江戸より約20キロ。西新井宿川口市)に対し東新井宿と呼ぶ。正保の改の時、伊奈半十郎荒川又六郎が土地で新井宿と載せて、西新井宿の名前を記すことは無かった。元禄再改の頃より二村が出てきた。また、東新井宿の半十郎が土地であると伝わるも、荒川かは伝わらない。これにより、西新井宿はこの村より分村して又六郎が土地かは西新井宿であることを知る。…西新井宿飛地があると伝わる。

 

と書いてあるようです。

 

元々一つの村であったものの、元禄の頃に二村に分離したという記述があり、こちらは「東新井宿」側です。

 

 

Googleマップで「新井宿」と検索すると現在の土地が括られて出て来ますが、風土記に記載があるように飛地になっているのが確認できます。

 

 

そして、県道105号(日光御成街道)を挟んで2つの神社が向かい合って立っています。こういう例は全国的にも珍しいのではないでしょうか。

 

今回の神社はその右側ですね。

 

こちらの子日神社は天神・山王・稲荷神の合祀であるそうです。子日神社とは聞き慣れない名称であるのですが、全国的には足腰健康にご利益のある神社であるそうです。

 

隣には多宝院という寺院が存在したそうですが、現在は敷地内にあった薬師堂のみが残存するようです。

 

 ※薬師堂のみが現存しています。観音像が見えます。

 

 

 

拝殿を覗き込むと奉納された額が複数ありました。

 

顕忠 
臼倉氏兄弟三人従征清役凱旋捧匾額子祠前為其紀念請予書之
陸軍工兵大尉竹内鉸次郎題并書

(訳)

顕忠
臼倉氏の兄弟三人は日清戦争に従軍した。凱旋して額を子(子日神社のことか)の祠の前に捧げる。その紀念に私にこの書を請われた。

陸軍工兵大尉竹内鉸次郎題并書

 

一つ目は「顕忠」の額。

顕忠とは殉国者と戦没者を弔う語であるようですので、このような訳にしてみました。

 

竹内鉸次郎の詳細は確認できませんでしたが、どうも測量をやっていたらしい形跡が出て来ました。

 

shozokan.kunaicho.go.jp

 

そしてどうやら写真が残っているようです。上のリンクからご覧ください。

 



2つ目は神社社号の奉納額。

 

奉献 正一位子日大権現 清浄金剛拝書

 

と書いてあります。大権現となっていることより神仏混淆の時代に奉納されたことがわかります。書いた人物は隣にあった多宝院の住職とみていいでしょう。

 

 

3つ目は伊勢大大神楽の奉納額。

 

奉奏 伊勢大々御神楽 明治四十四年二月十七日 慶北 臼倉肅道敬書(その他人名略)

 

と書いてあります。

 

臼倉肅道氏はこの神社に複数の字跡があります。これはやや癖の強い行書で書かれています。

 

 

同じく神楽の奉納額。

これは上の額よりも25年ほど古いものです。

 

奉奏 伊勢大々御神楽 明治十八年二月廿二日 卓堂山田輝喜敬書

 

「楽」の字がすごい字形の取り方をしています。

 

 

境内に目を移すと2つの碑がありました。

 

1つ目は参拝記念碑

 

紀元二千六百年記念 伊勢大神宮 橿原神宮 参拝記念碑 臼倉肅道謹書

 

と書かれています。

 

 

もう一つはこちらも伊勢の神楽奉納記念碑

 

伊勢大々御神楽奉奏記念碑
大正十二年二月十三日 臼倉肅道敬書

 

とあります。

 

このように臼倉肅道氏はこの神社だけで3つ字跡を遺しています。

 

これだけ遺しているとなると氏子として力を持っていた人物と想定できます。

 

 

ごつごつとした岩の上に狛犬が居ます。吽の顔が愛くるしい。

 

 

狛犬の足元に「奉献」の文字がありました。「奉」は阿、「献」は吽の下にあります。

 

迫力ある良い字でありますが、作者は不明。

 

最初、明治14年に造られたものの、関東大震災で壊れてしまい、昭和9年に改築したものになるようです。

 

こちらの神社は神楽奉納の記念碑が多いのが印象的です。

 

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