石碑巡遊〜手書きの魅力

名文・名筆を求め、各地の史跡・社寺などを巡り紹介していきます。現在、NOTEへ移行中完全移行後、こちらは閉鎖します。

埼玉県県道103号の成り立ちを伝える碑。

 こんにちは、今回は草加市柳島にある柳島氷川神社の石碑をみていきます。

 

共益講道路修繕記念碑

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 筆者は板橋菊蔵。詳細は不明です。大正9年の作。

 

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 草加市内にはいくつかこの筆者の碑が散見されます。それらを見ていくと、隷書を良くした人物であったのではないかと想像しています。この碑は若書きなのか、たどたどしさを感じますが、まとまりの良い額を書いています。

 

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 碑陽は楷書とカタカナの混じり体です。カタカナが極端に小さいのは漢文を訓読するときに右下につける「送り仮名」の影響でしょう。

 

 本文を簡単に読むと

 昔、現在の国道4号辺りから北西の方角、足立区木間の辺りから草加市谷塚を過ぎ、さいたま市緑区大門の辺りまでの道は土地が低く、湿気が多いところで、雨や雪が降れば身動きが取れなくなるような惨状であった。  

 「この状況を打開し、道路を修繕するべきだ」と粂兼次郎は呼びかけ、沿道の住民の賛同を得て無尽共益講を組織した。

 明治24年から20年、明治44年の会期終了までの間に道路改修費として約1万円(現在の価値で約1100万円ほど)出しあった。

 そしてようやく交通がよくなり、産業が発展するに従って政治家の目に留まり、ついに尾間木千住線(現:県道103号吉場安行東京線)の県道に編入された。  

 無尽共益講というシステムでお互いにお金を出し合い、道路を整備したことが書かれています。

 

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 目の前にある道のことですね。この道は現在東浦和の駅前から足立区の島根を繋いでいる全長約14キロの道路です。

 

 撰文者は細井為五郎。現:草加市谷塚上町のベルクスの辺りに私塾の松寿学館を建てた人物です。

 

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 碑陰には共益講の発起人として粂兼次郎の名が刻まれています。

 珍しく筆者名があり、横田利平と刻まれています。

 

 以上、県道103号の成り立ちの一部がわかる碑でした。

 

アクセス

草加市立柳島コミュニティセンター 隣接

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