御朱印の有名な神社で、漢字の字源を考え、合祀された神社を想う。〜九重神社
こんにちは、今回は九重神社に参拝してきました。
元々は氷川社であったものの、明治時代に周辺の八社を合祀したことで、九重神社に名称が変わったという由緒があります。
ご利益がなかなか強そうな感じですね。
さて、その入り口に社号の碑がありました。
「村社九重神社 後藤朝太郎謹書」と書いてあります。
この後藤朝太郎は当時、中国通として知られた人物で中国に関する様々な著書を残しています。
※『漢字の学び方教え方』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
写真が残っていました。写真があると親近感が湧いてきますね。
※『漢字の学び方教え方』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
漢字の字源(漢字の成り立ちを説明する)を紹介した本を出版しているようです。日本において甲骨文も見て古形から字源を研究した最初の人物ではないでしょうか。
字源研究は元にする字により解説が多くわかれる分野であるようですが、試しに、上の画像の「竹」を白川静先生の「竹」と比べてみましょう。
竹の字は竹の葉が集まって枝について居る様子を写したものである。竹の字をあらわすのに時には必ず竹の葉を印に用い、未だかつてその竹の櫛や竹の皮をもって来たものは見ない。長年の習慣でこれは立派な文字上の約束になっているものと思われる。
『漢字の学び方教え方』後藤朝太郎 著 p68より
竹の葉が枝についている様子が竹の字の字源だと述べています。
象形 竹の葉の形。[説文]五上に「冬生の艸なり。象形。下垂する者はホウジャクなり」とあって、ホウジャクとは竹苞をいう。字は竹の皮ではなく、竹の葉の象形である。
『字統』白川静 著 p611より
※竹苞とは竹が群がり生えているように堅固なこと。
とあり、ほとんど同じ解説です。
2人とも「竹の皮」ではないと言っているのが面白いですね。
さて、碑陰(碑の裏側)にも文字が刻まれていました。
村長勤績四十一年感謝記念
敬神崇祖ノ精神ハ我国体ノ本義ニシテ弥カ上ニモ神社ノ尊厳ヲ保タサル可カラス茲ニ於テ明治四十五年六月五日安行村各大字鎮座ノ神社ヲ併合シテ大字原村社氷川社ニ村社八社即チ赤山領領家神明社慈林氷川稲荷合社藤八新田菅原社吉蔵新田八幡社北谷稲荷社花栗稲荷社苗塚稲荷社小山氷川社外無格社八社ヲ合祀シ奉リ九重神社ト改称ス基本財産ヲ造成シテ是レカ維持確立ヲ図リ以テ村民敬神ノ中心タラシムト云爾
昭和十四年一月吉日
奉献者 氏子 中山吉長 源錬拝書
とあります。
・明治45年6月5日に安行村各大字の神社を併合したこと。
・原村の氷川社(九重神社)に八社(領家の神明社、慈林の氷川稲荷社、藤八新田の菅原社、吉藏新田の八幡社、北谷の稲荷社、花栗の稲荷社、苗塚の稲荷社、小山の氷川社)、さらに無格社八社を合祀し、九重神社と改称したこと。
が書かれています。合祀された八社を巡るのも楽しいかもしれません。
中山吉長はこの辺りではかなり有名な人物です。詳しくは下の記事をお読みください。
碑陰を書いた源錬の人物の詳細は不明ですが、隷書っぽい楷書の書き方が特徴のようです。
石工は関戸直利です。
御朱印で有名な神社です。御朱印巡りのついでに社号標もじっくり観察してはいかがでしょうか。