日清戦争の凱旋記念碑。立碑された理由は天皇万歳!なのかそれとも・・・。
こんにちは。今回は前回に引き続き、草加市弁天にある篠葉厳島神社の碑を見ていきます。前回のはこちらをご覧ください。
厳島神社の由緒記と向い合う形で建つのは「征清凱旋頌碑」です。
題額は福嶋安正(1852~1919)で、陸軍軍人。この書は大佐時に書かれたもので、43歳辺りであったと碑文から読み取れます。楷書をやや崩したような感じで伸びやかに書かれています。
碑文は日清戦争で日本が勝利して帰国したことを讃える碑。広島から挙兵して、翌年東京に帰還した旨が書かれています。
唐代の楷書をベースにして、横画は細めに縦画が太めというオーソドックスな書き振りです。全体的に真四角の構成でクセの少ない字ですので、楷書の勉強にもなるのではないでしょうか。
文と書は田中春樹。詳細は不明ですが、草莾の臣(民間にあって官に仕えずにいる人)とあることから、この神社周辺の住人であった可能性もあります。字もさることながら、文章も素晴らしい内容で、碑文の後半は漢詩で書かれています。
廟略宏遠 唇歯相扶 三邦鼎立 東方良圖
蠢彼狡虜 不與我同 凌隣侮小 背盟興戎
大詔茲下 士氣趣揚 大義所存 旗鼓堂々
陥其城壘 沈其艦船 且進且攻 所向無前
彼虜震懾 謝罪請和 割地納償 乃息干戈
六軍振旅 武功惟揚 萬國瞻仰 邦家之光
我皇神武 帝勲茲成 我皇叡聖 帝徳益宏
ざっくりとした内容としては「同盟関係に背いて戦争を起こしてきたから戦って、勝ったんだよ。天皇万歳!」という具合です。
碑陰には凱旋帰国したと思われる5人の兵士の名前が刻まれています。
発起人には同じ苗字が並んでいます。「無事に戦争から帰ってきてくれたんだね、ありがとう」という気持ちで立碑したと捉えたいのは私のわがままでしょうか。この当時のことですから、なんとも言えないのが残念です。
碑陰はおそらく碑陽とは別の人物の手になるものですが、詳細はわかりません。淡々とした爽やかな雰囲気が伝わってくる良い字ですね。
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